狩猟へ向けて

前回までの投稿で、移住するきっかけから実際に移住するまでの話が終わりましたので、暮らしの話をしていこうと思います。今回はせっかくなので時事ネタを。

自給自足のひとつ

自給自足を目指しているのに、田んぼも畑もやらず、何をしていたかと言うと、狩猟に意識と時間を費やしていました!育児が忙しい真っ只中なので、やりたいことが限られています。家のことを放ったらかして好きなことをすべてやる選択肢もありますが、そんなことをしたら家庭崩壊が待っているので、今は取捨選択して、無理をせずにやっていく方針でいます。移住のことがあったので、あとはせっかく取得した狩猟免許を無駄にしないために動いていました。

なぜ時事ネタかと言うと、北海道以外は11/15〜2/15が猟期でまさに今、猟期を終えたばかりなんです。

狩猟デビュー

2018年に東京で狩猟免許を取得したのですが、鹿や猪の解体ワークショップには参加していたものの、猟に一度も行かず猟期が終わりました。でも限られた時間のなかでは、それで計画通り。2019年のはじめ頃から猟銃の所持許可申請を始め、間に移住を挟み、普通より少し煩雑なやり取りを経て、同年10月頃に念願の許可が下り、何とか今シーズンの猟期に間に合わせることができました。

早く狩猟の話をしたいところですが、ここはやはりきっかけを話さなければいけません。

スーパーに毎日並ぶ食肉…

スーパーに行けば野菜やお肉が並び、お金を払えば手に入れることができます。毎日補充され、商品がなくなることがありません。あるのがあたり前です。お肉が絶えず商品棚に並ぶということは、どこかで毎日牛や豚、鶏が誰かの手で殺されているということです。東京にいる時は1つの駅にいくつかスーパーがあり、1つの店舗でもなかなかの食肉を扱っているのに、それがお店の数だけ掛け算で増えると考えると凄い量になります。範囲を1つの区や市に広げて考えると途方もない数で、東京全体と考えるともう想像もできない数でした。

遠くなった いのちのありがたみ

昔はみんな家畜を飼っていて、それぞれが“いのちをいただく”作業をやっていました。今は分業化が進んだので、畜産農家や食肉加工業者の方がやってくれています。対価を払うのだから、それはそれで良いのかもしれません。ですが、スーパーにあまりにもあたり前に並ぶので、いのちの重さを感じにくくなったようにも思います。もちろん、食肉になるまでの行程を想像すれば感謝の気持ちを持つことはできます。でも、「この手でやらなければ本当の重さはわからない」そんな思いがあったんです。

「ある精肉店のはなし」というドキュメンタリー映画に出会う

ひと昔前は屠殺が汚らわしい仕事として、軽蔑されていたという話を聞いてショックを受けました。お肉を食べるのに、食肉になるまでの仕事をやってくれている人に対して差別的な言動をとるのは信じられなかったからです。

家畜の生育環境と安全性

いろいろと調べるうちに現代の大量生産のための畜産業は、身動きのとれない狭い檻のなかで育てられたり昼夜問わず光を浴びさせられて、工場製品のような扱いを受けていることを知りました。「どうせ食肉になるために殺されるんだからいいだろう」とは僕はとてもじゃないけど思えなかった。

抗生物質で薬漬けであったり、ほとんどが遺伝子組み換え飼料を与えられていたりで、安全性にも疑問を持ちました。一時期いろんなスーパーの食肉コーナーの担当者に聞いてまわった印象では、こだわりがない普通のスーパーでは90〜100%のお肉がそんな感じでした。遺伝子組み換え作物を選ぶということは、回り回って日本の農家を苦しめることになり、環境汚染にも加担するということです。買いものは投票ですから、僕はそんな将来性のない選択はしたくありませんでした。

獣害問題を知る

増えすぎた猪や鹿が畑を荒らし、被害にあった農家は多大な損害を受けます。そこで数を減らそうと、猪や鹿が有害駆除の対象になるのですが、その内、年間数十万頭が産業廃棄物として焼却処理されたり、山に埋められています。

一方では増えすぎて棄てているのに、一方ではそんなこと関係なく大量生産している…

いろんなことが繋がり、僕のなかでおのずと答えが出ました。

「自ら獲り、自ら捌こう」

狩猟をはじめる前に解体ワークショップに参加しましたが、1頭解体するのに5,6人がかりでも数時間かかり、相当な労力がいりました。素人で不慣れな作業ということもあり、へとへとになったのを覚えています。お肉を食べるということはこんなに大変なことだったんだ、と痛感しました。それでもやめる気はありませんでした。

狩猟免許をとる

狩猟免許試験は毎年夏頃に開催され、東京だと3回あります。狩猟に興味がある人が増え、僕は申込み初日に都庁の環境局を訪れて申込みましたが、初日で定員になって締め切ったと後から聞きました。

必要書類として、医者から精神疾患や覚醒剤などの使用がないことを証明する診断書を書いてもらいに行きましたが、腕を見せたのと、1分ほどの簡単な問診だけで5000円とられて、「ぼったくりだー!」と叫びたくてしょうがありませんでした。

仕事が忙しがったのもあり、試験の2週間前から猛勉強を始めました。1週間前には猟友会の講習会に参加し、筆記試験の要点と模擬銃による実技講習を受け、残りの1週間は自宅にあった突っ張り棒を銃に見立てて、ひたすら銃の扱いの練習を繰り返しました。試験本番は講習会と復習の甲斐あって順調に進んでいきましたが、1つ大誤算だったのは狩猟していい動物や鳥を判別する“狩猟判別!”講習会では絵でわかりやすかったのに試験では写真で出題され、しかも夜行性の動物は夜の写真でわかりづらい…。全然手応えがありませんでした。

試験結果が出るまでの数日間は狩猟判別が頭から離れないくらい後悔のような不安な日々でしたが、無事に第一種銃猟狩猟免許(空気銃じゃなく、火薬の銃)と、わな猟狩猟免許を取得しました。

狩猟免許の合格率は8、9割ほど。狩猟免許をとったからと言って、実際に獲物をとれる技術があるかはまったく別の話です。「獲ってもいい」という資格があるだけで、経験を積んで技術を磨いていかなければ獲物はとれません。ですが、狩猟免許は勉強すればそこまでハードルが高いものではないので、狩猟に興味がある人は気負わずチャレンジしてみてください。

すいません。やっぱり話が長くなってしまいました。また次回に続きます。今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

uchinokurashi

いつもありがとうございます。 ささやかな生活に使わせていただきます。 皆さまにも笑顔溢れる毎日が訪れますように

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いざ、移住!

小規模ながらお米づくりを経験し、より一層田舎暮らしへの思いが強くなった僕でしたが、移住地に関しては他ももっと見てみたい、という気持ちがありました。

仕事の活動拠点が東京にあったので、ある程度東京に通いやすくなければ移動が大変になってしまいます。おのずと候補は千葉、山梨、埼玉、神奈川、長野、茨城、もしくは東京の奥多摩方面あたりになりました。ネットや本で見た興味のある土地を訪れてみると、それぞれ魅力があり、正直、どこも住んでみたいと思ったんです。でも、「このなかで1番住みたい場所はどこなんだろう?」という迷いに対する答えが、なかなか出せずにいました。迷っているうちに数年が経ち、それでも有力候補と言える場所すら定まらず、なかなか進められない自分に苛立ちすらありました。

子どもを授かる

妻は僕と同い年なので、高齢出産の部類に入ります。今どき高齢出産は珍しくもないのですが、やはり母体への負担は大きいものです。妊娠をし、お腹のなかで成長して、母子ともに無事に産まれてくることが“当たり前じゃない”ことを知りました。だから、妻が無事に出産し、わが子をこの手に抱いた時は、例えようのない大きな喜びがあふれ、本当にそれだけで幸せでした。

それなのに将来への不安が…

子どもというのは希望そのものです。毎日変化があり、どんどん成長していきます。「この幸せがずっと続いてほしい」これからも家族で笑って生きていきたいと思いました。ですが、困ったことにこの頃から僕の収入が減り始めたのです。この時にはありがたいことに貯蓄があったのですが、「田舎へ移住するときに使おう」と思っていました。それが、もの凄いスピードでみるみるなくなっていく…。減っていく預金残高は、この暮らしが終わるまでのカウントダウンのようで恐ろしかったです。わが子の将来が不安になりました。

「このままじゃ家族を守れない…」

“わが子”という最上の幸せがこの手にあるのに、今まで生きてきたなかで、この時期の精神状態は最悪なものでした。はじめて経験する育児で睡眠不足と休息のない毎日を送っていたこともあるのかもしれません。

実は匝瑳市に引っ越す半年前に東京の中で引越しをしているのですが、それは毎月大きな負担になっている家賃を安くするためでした。そもそもそんなに高い家賃のところには住んでいませんでしたが、さらに安いところを求めて、町田市鶴川の団地に引越したんです。都心だったら、1ルームの狭い部屋にしか住めないような家賃で3DKの部屋を借りることが出来ました。これは本当に救われました。部屋は5階なのにエレベーターがないので階段の上り下りは大変でしたが、団地内は管理が行き届いていて、多種多様な木や花や草が生えていたので、散歩するととても心地良かったんです。鶴川と言えば、先見の明があった白洲次郎が農業をするために移り住んだ土地でもあり、ミーハーな僕にとっては、そんなこともちょっと明るい気分にさせてくれました。

移住の決断。期限は3年。

鶴川団地の僕たちが選んだ物件は家賃が安い代わりに特殊な契約がありました。それは、3年だけの契約でそれ以上は契約が延長できないこと。何があっても出ていかなければいけません。「ならば次に引っ越すのは田舎だ!」僕は明確に田舎への移住を決断しました。

僕にとって、この“明確に”決断するということは、とても重要なことなんです。人生のあるときから明確に決断することで、思い描いた夢がすべて叶ってきました。叶えた、というよりは叶った、という表現が僕にとっては適切です。例えば、コンテストで優勝する、数人いた憧れのアーティストの仕事をする、海外でも活動する、自分のパフォーマンスを記録として形に残す、実力相応の評価を受けていない3人の友人に光を当てたい、など努力すれば叶わなくもない夢ばかりですが、どちらかと言うと「向こうから来た」という感じでした。“したい”ではなく“する”と決めることが肝心です。ふしぎな話ですが、それで夢が叶ってきました。

ちょっと話が脱線しましたが、とにかく僕は移住を決めて動きはじめました。情報を集めるなかで、久しぶりに田んぼでお世話になった髙坂さんのブログを覗いてみると、「古民家再生ワークショップ」の告知が。僕は古民家に住むのも夢だったので、必要なスキルを学ぶため、そして改めて髙坂さんに移住について相談してみようと思い参加を決めました。

ワークショップでは、古民家の素晴らしさと、自分たちで直して暮らす、という生きるたくましさを実感できました。帰り際に髙坂さんに「今、空き家ってあるんですか?」と聞くと、

「ちょうど1軒あるよ」

「え?!」ダメ元で聞いたので思わず驚いてしまいました。そのときはまだ居住者の方がいましたが、出ていくのでもうすぐ空くとのこと。せっかくなので、その日そのまま下見をさせてもらうことに。とても立派な家屋で、しかも修復いらず!そのまま住める上に、家賃が激安…。都心だったら、風呂トイレなし、しかも相当ないわく付き物件じゃないと、この安さになりません。鶴川団地に引越したのが2019年の1月で、このときはまだ1ヶ月後の2月です。

後日、妻にも下見に来てもらい、確か3月には引越しをほぼ決断していたと思います。子どものことで1つだけ懸念があり、それが解決しないと場合によっては移住を諦めなければいけなかったのですが、それも数か月後無事に解決し、決意を決めてから半年ほどで移住することになったのでした。

なぜ匝瑳だったのか

あれだけずっと悩んで移住地を決められなかったのに、なぜさらっと決められたのか。

ダンスしかやってこなかった僕には、DIYや壊れたものを修復したり、生きていくスキルがまったくと言っていいほどありませんでした。田舎への移住は夢でしたが、田舎での暮らしに不安もあったんです。ですが、古民家再生ワークショップに参加したことで、「ここには生きていくためのスキルを学ぶ場がたくさんあり、田んぼを経験した仲間がたくさんいる」

ここには安心がある

「収入に困ったらソーラーシェアリングでバイトすればいいよ」この髙坂さんの一声も大きかった。ソーラーシェアリングは匝瑳市の耕作放棄地だった土地を利用し、ソーラーパネルの下で大豆や麦などの農作物を育てる事業で、エネルギーの地産地消や雇用創出、地域保全に貢献するものです。

家族のためなら何でもするつもりでしたが、ただただ収入のための仕事は出来ればしたくなかったんです。そんな僕にとって、心の底から賛同できて学びにもなる仕事があるのは嬉しかった!実際、移住して間もない頃からバイトをさせてもらっています。

これまで漠然とした不安を抱えながら生きてきて、前年に精神的などん底を味わった僕にとって、「安心して暮らせる」というのは、こんなにも大事なことだったとは…。自分でも初めて気づかされました。

それに終の住処を探すのは凄くハードルが高くてなかなか行動できなくなりますが、もし違ったらまた自分に合う場所を探せばいいや、くらいの気持ちなら行動しやすくなります。もちろん、自分に合うと思えば一生暮らせばいいし。行動しないと見えてこないものだってありますからね。

髙坂さんが言っていたダウンシフトが、僕の場合、思わぬタイミングで“起こってしまった”。でもそれで結果、行動することができました。弾き出されるように東京を出た僕たち家族を受け入れてくれた地元の方々、先輩移住者のみんな、匝瑳やその近辺の風土にとても感謝しています。

すべて素人だけど、すべてこれからです。田舎暮らし始めましょうー!

uchinokurashi

今回も最後まで読んでいただきありがとうざいました。 心配させてしまう内容でしたが、今は健全な精神状態に戻って、家族みんな笑って過ごしています。

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本当の豊かさを考え

東日本大震災は移住や自給自足を考える大きなきっかけだったのですが、もうひとつ大きな理由があります。それは「お金」について考えたことからです。

東京に住んでいると、欲しいものがあれば近くにお店があってすぐ買えて、便利で楽しいのですが、何をするのにもお金がかかります。毎月家賃を払い、食べるためにもお金が必要で、おしゃれをしたり、趣味があれば、さらにたくさんのお金が必要になります。

今の時代、安定した職業なんてないのかもしれませんが、僕の場合は特に収入が不安定な職業なため、「何歳まで稼ぐことが出来るだろう?」、「稼げたとしても生きていくだけの生活費を稼ぐために何歳まで働き続けなければいけないのだろう?」という不安がありました。頑張って働いて稼いでも、どんどん消えていくので、不安が常に後ろを追いかけてくるような感覚です。その不安に追いつかれないように「もっと稼がなきゃ!」という思考が頭のどこかに常にありました。

もし、僕がお金をバンバン稼いでいたら、そんな不安はなかったのかもしれません。だけど、僕はそうじゃなかった。若い頃はバイトをしながらダンサーの夢を追いかけていて、したくもないバイトでストレスもたまるから遊ぶのにもお金を使ってしまう。少し収入の多い月には欲しい服を買ったり、自分を着飾ることに使っているうちに、いつの間にあれもこれもと、“もっともっと”が止まらなくなり、お金を使い果たしてしまう。貯金なんてありませんでした。そもそもそんなに稼いでいない上に、ある分だけ使うのでお金がまたたく間になくなり、次の給料日までどう乗り切るかを考えていました。

経済大国の日本の首都で暮らし、豊かになるどころか、大量生産、大量消費の渦のなかで、心がすり減り、自分が消費されているようでした。

僕だけではありません。貨幣交換は、物々交換の不便を”便利にするため”に人間が生み出したシステムのはずなのに、僕と同じようにお金で苦しんでいる人が現代にはたくさんいるんです。

この世に生まれ、気づいたら当たり前のようにお金があり、いつしかお金を稼ぐことが当たり前になっている。しかも多くの人がそれに疑問を持っていません。便利な交換ツールであることは間違いないのですが、都市部にいると“お金がないと生きていけない”ので、生きるためにお金を稼ぎ、いい生活を送るためにさらに頑張って稼ぎます。マイホームを買えば長い年月をかけてローンを払い続けなければいけなくなり、お金に縛られ、お金を稼ぐことが人生の目的のようになっていく。病気なんてしたら大変です。今は価値観が少し変わってきているようですが、ほんの数年前までは、多くの人にとって、お金をどれだけ持ってるかが豊かさの指標になっていたように思います。

お金は必要だけど、それが目標では幸せになれない。

僕は幸せに生きたかった。今までの意識を切り替え、新たな価値観を模索しました。いろんな本を読み、どうやったら幸せになれるのか具体的な答えを探していました。

ムヒカ前ウルグアイ大統領の言葉はすごく響きました。

東日本大震災のあとにはブータンのワンチュク国王が来日し、注目された国民総幸福量(GNH)という考え方も、僕には大きな出会いでした。するすると同じような価値観の人の考えに触れ、藻谷浩介さんの「里山資本主義」、そして髙坂勝さんの「ダウンシフターズ 減速して自由に生きる」に出会いました。

自分で食べる分の作物を育てれば、その分稼がなくたって生きていける。できた時間で好きなことをする。

導かれるように髙坂さんが東京の池袋で営んでいたオーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」を訪れ、「まだ田んぼの空きあるよ」という誘惑に誘われ、あれよあれよと田んぼをやることに。それが2015年のことでした。

田植えから稲刈りまで月に2回くらいのペースで東京から匝瑳市に通い、生きものがたくさん生きる田んぼのなかで生物多様性を肌で感じ、泥でデトックス。気持ちよかった。念願の収穫で感じたお米の重みは喜びそのものでした。

食べるものさえ自分でつくれれば、とりあえず生きていける。

作業でかがめ続けた腰はたしかにきつかったけど、でも思ったより簡単にお米がつくれた…。主食であるお米をつくれたのは本当に大きな自信になりました。

次回につづく。今回もまだ田舎暮らしには到達できませんでした…。

uchinokurashi

最後まで読んでいただきありがとうございました。 ささやかな暮らしに使わせていただきます。

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移住を決断するまで

連続で書くつもりでしたが、少し日が経ってしまいました。今回は移住や自給自足を考えるようになったきっかけを書いていこうと思います。

ブログのタイトルの通り僕は自給自足に憧れて2019年7月に匝瑳(そうさ)市に移住しました。自給自足をするには田舎じゃないと難しいですからね。場所はいろいろと悩みましたが、移住を考え始めたのは何年も前のことです。自分たちで食べるお米や野菜、お肉を自分で調達したり、木や竹を管理しながら燃料に変えたり、電気も自分の家で発電したいと思うようになりました。現時点では遠く及びませんが、完全じゃなくてもいいので少しずつ自給率を上げていきたいと考えています。

そもそもなぜそんなことを考えるようになったのか…

僕は新潟の田舎で育ち、高校を卒業してすぐに東京に出てきました。街には多種多様なお店が溢れ、電車にちょっと乗ればテレビや雑誌で紹介されたおしゃれなお店、面白そうなイベントに行ける。田んぼが広がる田舎で育った僕には楽しくてしょうがありません。刺激のあるシティライフを満喫していました。

きっかけは2011年に起きた東日本大震災、そして福島第一原発の事故。

地震が起きた瞬間、震源地から遠く離れた東京でさえも今まで経験したことのないほどの大きな揺れがありました。自宅にいた僕は、食器が次々と割れ、ぐちゃぐちゃに散らかっていく部屋で、今にも倒れてきそうな家具の下敷きにならないように必死に押さえながら怯えていました。建物が倒壊するほどの揺れのなか「もうだめかも…」と死を覚悟しました。

結局、命を落とすことなく、怪我をすることもなかったわけですが、それは偶然そうなっただけのこと。これ以降、生きていることは当たり前じゃない、誰だっていつ死んでもおかしくないんだ、と思うようになりました。

福島第一原発事故は今も収束せず、早くてもあと数十年…。

大きな地震や津波もそうですが、それに加えて福島第一原発の事故は人生の価値観を変えるには十分過ぎるほど衝撃的なできごとでした。それまでは電気がどこでどう作られているかなんて考えもしません。

情報を集めて知っていくたびに、「都会の便利な生活のために、周辺の住民や環境にどれだけの負荷を押しつけてきたのだろう」と反省の日々になりました。電力会社や国のせいではなく、無関心だった自分たちのせいなんです。

食料に関しても同じです。物流が止まると、街からは日に日に食料品が消えていき、不安は募るばかり。生きるために必要な食べるものがなくなり、お金があっても買えるものがない、という都会の脆さを痛感したのでした。

時間がかかりましたが、街はだんだんと日常に戻っていきました。ですが、以前のようにスーパーに食品が並んでいても、電気を使っても、”どこでどう作られているのか”が気になってしまいます。食品に関しては、農薬や添加物のこと、工場製品のように扱われ薬づけの家畜、遺伝子組み換えを扱う多国籍企業による種子や食の支配。電気に関しては、原子力発電の行き場のない核のゴミや海水温上昇による生態系破壊、そもそも莫大なコストがかかり、危険なものであること。他にも身の回りのあらゆることが実は遠くの誰かを苦しめていたり、環境汚染を繰り返しながら作られていたことを知りました。店頭の貨幣交換では見えづらかった現代の消費システムの負の面が見えてきて、そのなかにいる自分に途方もない罪悪感を感じました。

このシステムを変えるにはどうしたらいいのだろう。買い物をする時やお金を使う時はその背景を知り、ちゃんと選択することも大事なことの1つです。

ただ、僕は暮らしそのものを変えたいと感じたのです。自分で作れば、安心安全なものがお金をあまりかけずに手に入る。環境への負荷に責任が持てるので、最小に抑えることができる。自給自足は、人間のためだけでなく、動物や地球のため、そして次の世代にも貴重な資源を残すための平和活動なんだ、という考えにたどり着きました。

そして、限りある命ですから、今やらなければ意味がない。そんな思いで田舎への移住を決断したのです。

とはいえ、実際は移住するまでに時間がかかってしまったんですけどね。話の続きはまた次回に。楽しい田舎暮らしの話をすると言っておきながら、またかたい話をしてしまいました。次回もまだ続きそうです。今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

uchinokurashi

この活動のための費用とささやかな暮らしに使わせていただきます。 托鉢で暮らす僧侶のような…。僕の場合、そんな崇高なものではありませんが。

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移住の話のまえに

こんにちは。内山隼人と申します。僕は新潟県出身で、高校を卒業してから19年間東京で過ごし、2019年7月に千葉県匝瑳市に移住しました。これから田舎暮らしについて書いていくつもりですが、そのまえに僕の職業についてお話ししようと思います。

僕はWORLD ORDERというダンスパフォーマンスグループで10年活動を続けてきました。WORLD ORDERといえば、「スーツを着てロボットダンスをする7人組」。The ジャパニーズビジネスマンのイメージで海外からも広く受けいれていただき、活動拠点は東京ですが、おかげさまで10か国以上の国を訪れ、企業CMやイベント出演、そしてミュージックビデオの撮影を行ってきました。YouTubeで検索していただけると、たくさんのミュージックビデオが出てきますので、知らなかった方は是非この機会にご覧ください。

せっかくなのでWORLD ORDERについてもう少し書きたいと思います。僕たちのグループ名を聞いただけでピンときた方はよくご存知ですね。直訳すると「世界秩序」。こちらもネット検索すると、いろんな情報が出てきます。裏で誰かが世界を操っている、というような陰謀論はオカルト的に捉えられたりします。もちろん僕にもどこまで真実かはわかりませんが、莫大な財産と権力があればそれも不可能なことではない、と今の政治情勢やお金の流れなどを見ていても十分思えるのです。

では、僕たちに何ができるか。対抗しても力の大きさが違いすぎて太刀打ち出来ません。ですが、音楽やパフォーマンスには人を楽しませ、笑顔にする力を持っています。笑顔の力って凄いんですよね。あっという間に国や言葉、文化の壁を越え、平和にする力を持っています。恥ずかしながら僕は日本語しか話せないんですが、今まで訪れた国では、言葉の通じない人たちと同じ時間を共有し、思いを共感し、共に笑顔になれました。歴史的、宗教的に難しい地域もあり、そんな簡単なことではないのかも知れませんが、そうやって人と人とが笑顔でつながり輪を広げれば、さまざまな枠組みを越えて世界は少しずつ平和になっていく、僕はそんな風に信じています。

WORLD ORDERの活動を通して自分のなかには、みんなが笑顔になれるように…つまり平和への思いがありました。僕が田舎に移住するきっかけは別にありますが、根底でたしかに流れるこの思いが、何か行動するときに方位磁石のように僕を導いてくれている気がしています。

今回はこれくらいにしておきます。もっと気楽な感じにしたかったのに、思いもよらず真面目に書いてしまいました。これから楽しく田舎暮らしを発信していく“つもり”なのでよろしくお願いします。      

 内山隼人

uchinokurashi

最後まで読んでいただきありがとうございます。 この活動のための費用と、ささやかな暮らしに使わせていただきます。

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