憧れの古民家ライフ

現在、匝瑳市にはいくつか空き家があり、修復がいらずそのまま住める物件から、ちょっとした修復が必要な物件、さらにはまるごと修復が必要なハード物件までいろいろとあります。匝瑳にやってくる移住者はたくましい方が多く、何でも自分や仲間たちで直していく精神が根付いていて、雨漏りや床の張替え程度は序の口で、お化け屋敷レベルのハード物件を選び、ゆっくり楽しく修復している方も何人かいます。そういったところでは、修復ワークショップも開催されるので、移住者やこれから移住してくる人の勉強の場にもなって、全体的なスキルアップになっています。実際、僕も現在スキルアップ中です!学びの場が近くにあるというのは、ありがたいことです。

そんなことを言っておきながら、わが家はまったく修復いらずの物件だったのですが、移住前に何度も通うことが難しかったですし、早く引っ越したい気持ちがあったので、僕にとっては「修復がない」ことは大変助かりました。

思いもよらずいきなり念願の古民家生活が始まったわけですが、やはり都会の家とはちょっと違う面白みがあります。その辺について書いてみようと思います。

エアコンはもちろんありません。ですが、風通しがいいので夏はそれほど暑くなく、心地よく過ごせました。まあ、その代わりと言ってはなんですが、冬は寒い!断熱材も入ってないので冷気がダイレクトな上に隙間があるので、台所や押入れの中が外のように寒いんです。今年は暖冬だったとはいえ11〜1月の朝晩の冷え込みは厳しく、朝はなかなか布団から抜け出せませんでした。最近気温が上がってきたのが嬉しいです。

それから水です。僕は以前から水道水の塩素が気になっていたので井戸水はとてもありがたかったです。

井戸水だとお風呂の水がやわらかい!いい湯だなぁ

千葉県は井戸水をひいている家庭が結構多く、全然珍しくありません。井戸水と言うと、手で汲み上げる画を思い浮かべがちですが、今は電動ポンプがあるので、蛇口をひねれば普通に水が出てきます。場所によって水質が全然違うので、飲料として使うには、有料ですが水質検査をすると安心です。専用のポリボトルをもらい、自分で採水し、検査機関に持っていくと1週間ほどで結果が出ます。飲んでも大丈夫な“適”をもらうとやっぱり嬉しいですね。

そして、もう1つ特徴的だったのがトイレです。元々はぼっとん便所だったんですが、前の住人の方がバイオトイレに替えてくれました。何が違うかと言うと、ぼっとんは定期的に汲み取りに来ますが、バイオトイレは汲み取りに来ません。微生物の分解の力に任せています。よく「夏は臭いんじゃない?」と聞かれますが、逆です。微生物は温かい場所で活動が活発になるので、夏はほとんど臭わず次の日には“物体”が跡形もなく無くなるくらいです。対して、寒い時期や雨の日は活動が落ち、臭いもするし、“物体”がしばらく残ります。その辺の問題を解消する便利なグッズもありますが、今のところ手作業で撹拌したり、もみ殻や炭を撒いたり、アナログなやり方で乗りきっています。

微生物の働きを活性化させる秘密兵器!
水に混ぜて…
トイレに流し込むだけ

それから虫です。引っ越してきた当初はアシダカグモという大きな蜘蛛が家の中を歩き回っていました。カサカサ足音がするので、慣れないうちはなかなかの迫力でした。蜘蛛は他の虫から家を守ってくれるので、追い出しません。

人間を攻撃してこないし、いい距離感で同居しています

夏は洗面台に毎晩ナメクジが現れていましたし、よくゴキブリも飛んできてました。蚊は夏はたくさんいましたし、冬になってもいなくならず、そろそろいなくなったかと思えば、最近暖かくなったせいかまた活発になっている気がします。元々、無駄な殺生はなるべくしたくないと思っていたのに、毎日子どもが何ヵ所も刺されているのを見てからは、蚊を見つけては「絶対見逃すものか!」と目の色を変えて必死に蚊を追いかけるようになりました。なんとも滑稽なものです。蚊は環境を改善させれば減るはずなので、今年は蚊が発生しないような環境づくりを心がけたいと思います。

uchinokurashi

いつもご支援ありがとうございます。とても助かっています。本来は個別にお礼のメールを差し上げたいと思っているのですが、なかなか追いつかずにいます。昔ながらの作りの発酵食品を食べ、添加物などを極力抑え、ストレスも抑え、腸内環境をよくしてウィルスに負けない体づくりを心がけましょう!

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初猟

さあ、狩猟免許と猟銃の準備が整いました。しかし、狩猟免許と猟銃があるからと言って、獲物が穫れるかどうかは別問題です。これから技術と経験を積んでいかなければいけません。右も左もわからない僕が初の猟に選んだのは鳥屋(とや)猟。川沿いに作られた人工の小屋で待機し、川に降りたった鴨をそっと銃を構え撃つ、というもの。人のつてで紹介してもらい行った鳥屋は安全な上に、暖房や調理器具も備えつけられており、猟のワイルドなイメージとは裏腹に快適な空間でした。

暖房器具も完備され、寒さをしのげてありがたかった
鴨が川に降り立つと小窓をそっと開けて銃を撃つ
おとりのデゴイを川に放つ

日が昇る前から準備し、日の出と共にスタート。射撃場と猟の現場では勝手が違うので、まずは先輩の見本を観察してからにしようと思ってたのに、早速鴨が降り立って、先輩猟師の口から出た言葉は「ほら、撃て!」

「いや、まずはちょっと見本を…」

「いいから、撃てって!」

「…はい!」意を決して狙いを定め、引鉄を引く…。

当たった…!

標的が動いてないからと言って、初心者の僕の弾が当たると思いませんでした。その後も一定間隔で鴨が降り立ち、気づいたらお昼頃までに穫れたマガモの数は7羽に。そのうちの1羽を先輩猟師の方がその場で捌いてくれ、鳥屋に備えつけのジンギスカン鍋で葱と一緒に焼いてくれました。炊飯器でご飯も炊いてくれ、「本当に何でも揃ってるなぁ…」と驚きの連続でした。この時食べた鴨の味と食感は絶妙で、その後もこれを超えることはありませんでした。新鮮さと捌く技術と…ジンギスカン鍋のおかげでしょうか。

初の猟は猟と言えるのか微妙なほど快適空間だったため、2回目の猟は匝瑳市の猟友会の方に連絡をして、普通の猟に連れていってもらえるよう頼みました。

すると一緒に車でぐるぐる回ってくれ、稲刈り後の乾いた田んぼで歩いていたキジを1羽仕留めました。

羽をむしるためロケットストーブで湯引きの準備
キジの体は実は鴨くらいの大きさしかありませんでした。解体ももっと上手くなりたい。

猟友会の方が「あとは1人で回ってみたらいいよ」と仰っていただいたので、3回目の猟は単独で回り、川で鴨の仲間のホシハジロを1羽。

4回目も同じく川でコガモを2羽。

鴨やキジでさえも1羽捌くのに、不慣れな僕では1時間くらいかかり、相当な労力が必要でした。四足の動物ではこんなものではありません。1羽1羽捌くたびに、お肉を食べるための労力と、いのちのありがたみを身をもって感じました。

忙しがったため、たった4回の出猟でしたが、こうして僕の初の猟期が終わりました。初の猟期で見えたいろんな課題をクリアして、来期はイノシシや鹿にチャレンジしたいと思います。

uchinokurashi

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。僕が感じた“いのちの線引き”についてもいつかお話しできれば、と思っています。

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長かった猟銃所持許可申請

今回も狩猟の話の続きをしようと思います。狩猟免許の取得は順調だったんですが、それよりも大変だったのは猟銃の許可申請でした。ちなみに猟銃で獲るよりわなで獲ったお肉の方が美味しいと言われています。ですが、わな猟は仕掛けたら毎日見回りをしなければいけないので、山の近くに住んでいないとなかなか難しい面があります。それに対して銃猟は、猟に出かけその場で巡り合った獲物を獲る、という利点があります。ということで、狩猟免許はわなと銃を取得しましたが、まずは銃猟の方をやろうと決めました。

日本で銃を持つということ

銃はとても危険なもので、日本では一般市民が所持することはとても特別なことです。なので、審査が慎重に行われます。

まずはじめに初心者講習という座学から。警察署で申請料と共に申請し、1ヶ月後別の警察署へ。タイミングによっては同じ東京でも結構離れた場所でやるので、若干の面倒があります。初心者講習は常識的なことが多く、講習の最後にやるテストは難なくクリアすることができました。

次は教習資格申請。今度は射撃場で本物の銃を使った講習なので、講習を受ける前に「銃を持たせていい人間かどうか」あらかじめ審査がありました。またも申請料と共に医師の診断書が必要で、なかなかの出費です。かかりつけ医でも大丈夫なんですが、健康だった僕はかかりつけ医がなく、ちゃんとした精神科に行き「精神疾患になる仕組み」を丁寧にレクチャーを受けるという貴重な体験をさせてもらいました。

過去10年間の職歴や住所歴、年収、交通違反を含めた犯罪歴を記した書類を用意し、生活安全課で1時間ほどの面談をします。「なぜ猟銃を持つのか、なぜ狩猟をやりたいのか」を質問され、自分の思いをすべて話し、面談してくれた警察官の方はそれをすべて書き記していきます。

後日、妻や隣近所に話を聞くために自宅まで警察官が来ました。酒癖が悪くないか、暴力がないか、素行が悪くないかなどを聞かれます。申請の際に面識のあった警察官とはいえ、刑事ドラマのように2人組で警察手帳を見せながら現れたので、変な緊張感がありました。それはこちらの問題か…。

実家の家族や友人、同僚(メンバーの森澤祐介と申告)にも電話が行き、同じような質問をされ、待つこと1ヶ月後。通常より時間がかかり、移住の2、3日前にギリギリ許可がおりました!ふぅ…。

移住後に、引っ越し先の匝瑳警察署で実包の譲受書の申請し、銚子射撃場でいよいよ本物の猟銃による講習です。銃の扱いや安全確認などの話の後に、クレー射撃をしていきます。初心者向けの前にしか飛ばない設定でもなかなか当たりません…。試験では25中2発当たれば合格でしたが、なんとか8発命中!良かった…。

余計な力が入っているのが見て取れます。頬づけ、肩づけをして撃った銃の反動で翌日あざが出来ました

次は猟銃選びです。銃砲店をいくつか回りました。新品だと数十万〜数百万円までありますが、僕が狙ったのは10万円以下の中古銃。いくつか選択肢がありましたが、初めてのことで何を基準に選べばいいのか難しい判断でした。最終的には細身の僕に適した軽さと馴染み感、つまり、“持って構えた時の感触”でした。

購入予定の銃の書類を作成してもらい、ガンロッカーや装弾ロッカーも中古で安いものを探し(ガンロッカーは新品で3万くらい→中古で5000円、装弾ロッカー新品で1万くらい→中古で500円で見つけました!)、警察署で申請。再び医師の診断書と共に…。またもや自宅で妻への聴取と電話による審査があり、家族、友人、同僚(森澤祐介)、さらに上司(元気さん)に電話がいき、待つこと1ヶ月。

警察署でもらった書類を銃砲店に持っていき、購入予定だった猟銃を購入してから、再び警察署で現物を確認してもらいに行きます。さらに後日、ガンロッカーに猟銃が収納されている確認をしてもらい、ようやく猟銃許可申請のすべての行程が終わりました!!

早ければ3ヶ月ですべて終えるところ、僕の場合、約半年かかりました。長かった…。

時間もお金もかなりかかりました。申請の度に事前予約の電話を警察にして予定を合わせたり、申請料の負担はボディブローのように効いてきましたが、たった1個人のために忙しい警察官の方がいろいろと動いてくれて本当に感謝しかありませんでした。

はじめは警察署を訪れるのは緊張しましたが、おかげさまで今では警察官に親しみを感じるほどになり、何のためらいもなく電話も訪問も出来るようになりました。

長々と説明に付き合ってくれてありがとうごさいました。それだけ長い手続きがあったことを伝えたくて。次こそいよいよ実際の猟の話をしようと思います。

uchinokurashi

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。今回は手続きの話で、面白い内容じゃなくてすいません。いつも応援してくださり感謝しています。

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狩猟へ向けて

前回までの投稿で、移住するきっかけから実際に移住するまでの話が終わりましたので、暮らしの話をしていこうと思います。今回はせっかくなので時事ネタを。

自給自足のひとつ

自給自足を目指しているのに、田んぼも畑もやらず、何をしていたかと言うと、狩猟に意識と時間を費やしていました!育児が忙しい真っ只中なので、やりたいことが限られています。家のことを放ったらかして好きなことをすべてやる選択肢もありますが、そんなことをしたら家庭崩壊が待っているので、今は取捨選択して、無理をせずにやっていく方針でいます。移住のことがあったので、あとはせっかく取得した狩猟免許を無駄にしないために動いていました。

なぜ時事ネタかと言うと、北海道以外は11/15〜2/15が猟期でまさに今、猟期を終えたばかりなんです。

狩猟デビュー

2018年に東京で狩猟免許を取得したのですが、鹿や猪の解体ワークショップには参加していたものの、猟に一度も行かず猟期が終わりました。でも限られた時間のなかでは、それで計画通り。2019年のはじめ頃から猟銃の所持許可申請を始め、間に移住を挟み、普通より少し煩雑なやり取りを経て、同年10月頃に念願の許可が下り、何とか今シーズンの猟期に間に合わせることができました。

早く狩猟の話をしたいところですが、ここはやはりきっかけを話さなければいけません。

スーパーに毎日並ぶ食肉…

スーパーに行けば野菜やお肉が並び、お金を払えば手に入れることができます。毎日補充され、商品がなくなることがありません。あるのがあたり前です。お肉が絶えず商品棚に並ぶということは、どこかで毎日牛や豚、鶏が誰かの手で殺されているということです。東京にいる時は1つの駅にいくつかスーパーがあり、1つの店舗でもなかなかの食肉を扱っているのに、それがお店の数だけ掛け算で増えると考えると凄い量になります。範囲を1つの区や市に広げて考えると途方もない数で、東京全体と考えるともう想像もできない数でした。

遠くなった いのちのありがたみ

昔はみんな家畜を飼っていて、それぞれが“いのちをいただく”作業をやっていました。今は分業化が進んだので、畜産農家や食肉加工業者の方がやってくれています。対価を払うのだから、それはそれで良いのかもしれません。ですが、スーパーにあまりにもあたり前に並ぶので、いのちの重さを感じにくくなったようにも思います。もちろん、食肉になるまでの行程を想像すれば感謝の気持ちを持つことはできます。でも、「この手でやらなければ本当の重さはわからない」そんな思いがあったんです。

「ある精肉店のはなし」というドキュメンタリー映画に出会う

ひと昔前は屠殺が汚らわしい仕事として、軽蔑されていたという話を聞いてショックを受けました。お肉を食べるのに、食肉になるまでの仕事をやってくれている人に対して差別的な言動をとるのは信じられなかったからです。

家畜の生育環境と安全性

いろいろと調べるうちに現代の大量生産のための畜産業は、身動きのとれない狭い檻のなかで育てられたり昼夜問わず光を浴びさせられて、工場製品のような扱いを受けていることを知りました。「どうせ食肉になるために殺されるんだからいいだろう」とは僕はとてもじゃないけど思えなかった。

抗生物質で薬漬けであったり、ほとんどが遺伝子組み換え飼料を与えられていたりで、安全性にも疑問を持ちました。一時期いろんなスーパーの食肉コーナーの担当者に聞いてまわった印象では、こだわりがない普通のスーパーでは90〜100%のお肉がそんな感じでした。遺伝子組み換え作物を選ぶということは、回り回って日本の農家を苦しめることになり、環境汚染にも加担するということです。買いものは投票ですから、僕はそんな将来性のない選択はしたくありませんでした。

獣害問題を知る

増えすぎた猪や鹿が畑を荒らし、被害にあった農家は多大な損害を受けます。そこで数を減らそうと、猪や鹿が有害駆除の対象になるのですが、その内、年間数十万頭が産業廃棄物として焼却処理されたり、山に埋められています。

一方では増えすぎて棄てているのに、一方ではそんなこと関係なく大量生産している…

いろんなことが繋がり、僕のなかでおのずと答えが出ました。

「自ら獲り、自ら捌こう」

狩猟をはじめる前に解体ワークショップに参加しましたが、1頭解体するのに5,6人がかりでも数時間かかり、相当な労力がいりました。素人で不慣れな作業ということもあり、へとへとになったのを覚えています。お肉を食べるということはこんなに大変なことだったんだ、と痛感しました。それでもやめる気はありませんでした。

狩猟免許をとる

狩猟免許試験は毎年夏頃に開催され、東京だと3回あります。狩猟に興味がある人が増え、僕は申込み初日に都庁の環境局を訪れて申込みましたが、初日で定員になって締め切ったと後から聞きました。

必要書類として、医者から精神疾患や覚醒剤などの使用がないことを証明する診断書を書いてもらいに行きましたが、腕を見せたのと、1分ほどの簡単な問診だけで5000円とられて、「ぼったくりだー!」と叫びたくてしょうがありませんでした。

仕事が忙しがったのもあり、試験の2週間前から猛勉強を始めました。1週間前には猟友会の講習会に参加し、筆記試験の要点と模擬銃による実技講習を受け、残りの1週間は自宅にあった突っ張り棒を銃に見立てて、ひたすら銃の扱いの練習を繰り返しました。試験本番は講習会と復習の甲斐あって順調に進んでいきましたが、1つ大誤算だったのは狩猟していい動物や鳥を判別する“狩猟判別!”講習会では絵でわかりやすかったのに試験では写真で出題され、しかも夜行性の動物は夜の写真でわかりづらい…。全然手応えがありませんでした。

試験結果が出るまでの数日間は狩猟判別が頭から離れないくらい後悔のような不安な日々でしたが、無事に第一種銃猟狩猟免許(空気銃じゃなく、火薬の銃)と、わな猟狩猟免許を取得しました。

狩猟免許の合格率は8、9割ほど。狩猟免許をとったからと言って、実際に獲物をとれる技術があるかはまったく別の話です。「獲ってもいい」という資格があるだけで、経験を積んで技術を磨いていかなければ獲物はとれません。ですが、狩猟免許は勉強すればそこまでハードルが高いものではないので、狩猟に興味がある人は気負わずチャレンジしてみてください。

すいません。やっぱり話が長くなってしまいました。また次回に続きます。今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

uchinokurashi

いつもありがとうございます。 ささやかな生活に使わせていただきます。 皆さまにも笑顔溢れる毎日が訪れますように

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いざ、移住!

小規模ながらお米づくりを経験し、より一層田舎暮らしへの思いが強くなった僕でしたが、移住地に関しては他ももっと見てみたい、という気持ちがありました。

仕事の活動拠点が東京にあったので、ある程度東京に通いやすくなければ移動が大変になってしまいます。おのずと候補は千葉、山梨、埼玉、神奈川、長野、茨城、もしくは東京の奥多摩方面あたりになりました。ネットや本で見た興味のある土地を訪れてみると、それぞれ魅力があり、正直、どこも住んでみたいと思ったんです。でも、「このなかで1番住みたい場所はどこなんだろう?」という迷いに対する答えが、なかなか出せずにいました。迷っているうちに数年が経ち、それでも有力候補と言える場所すら定まらず、なかなか進められない自分に苛立ちすらありました。

子どもを授かる

妻は僕と同い年なので、高齢出産の部類に入ります。今どき高齢出産は珍しくもないのですが、やはり母体への負担は大きいものです。妊娠をし、お腹のなかで成長して、母子ともに無事に産まれてくることが“当たり前じゃない”ことを知りました。だから、妻が無事に出産し、わが子をこの手に抱いた時は、例えようのない大きな喜びがあふれ、本当にそれだけで幸せでした。

それなのに将来への不安が…

子どもというのは希望そのものです。毎日変化があり、どんどん成長していきます。「この幸せがずっと続いてほしい」これからも家族で笑って生きていきたいと思いました。ですが、困ったことにこの頃から僕の収入が減り始めたのです。この時にはありがたいことに貯蓄があったのですが、「田舎へ移住するときに使おう」と思っていました。それが、もの凄いスピードでみるみるなくなっていく…。減っていく預金残高は、この暮らしが終わるまでのカウントダウンのようで恐ろしかったです。わが子の将来が不安になりました。

「このままじゃ家族を守れない…」

“わが子”という最上の幸せがこの手にあるのに、今まで生きてきたなかで、この時期の精神状態は最悪なものでした。はじめて経験する育児で睡眠不足と休息のない毎日を送っていたこともあるのかもしれません。

実は匝瑳市に引っ越す半年前に東京の中で引越しをしているのですが、それは毎月大きな負担になっている家賃を安くするためでした。そもそもそんなに高い家賃のところには住んでいませんでしたが、さらに安いところを求めて、町田市鶴川の団地に引越したんです。都心だったら、1ルームの狭い部屋にしか住めないような家賃で3DKの部屋を借りることが出来ました。これは本当に救われました。部屋は5階なのにエレベーターがないので階段の上り下りは大変でしたが、団地内は管理が行き届いていて、多種多様な木や花や草が生えていたので、散歩するととても心地良かったんです。鶴川と言えば、先見の明があった白洲次郎が農業をするために移り住んだ土地でもあり、ミーハーな僕にとっては、そんなこともちょっと明るい気分にさせてくれました。

移住の決断。期限は3年。

鶴川団地の僕たちが選んだ物件は家賃が安い代わりに特殊な契約がありました。それは、3年だけの契約でそれ以上は契約が延長できないこと。何があっても出ていかなければいけません。「ならば次に引っ越すのは田舎だ!」僕は明確に田舎への移住を決断しました。

僕にとって、この“明確に”決断するということは、とても重要なことなんです。人生のあるときから明確に決断することで、思い描いた夢がすべて叶ってきました。叶えた、というよりは叶った、という表現が僕にとっては適切です。例えば、コンテストで優勝する、数人いた憧れのアーティストの仕事をする、海外でも活動する、自分のパフォーマンスを記録として形に残す、実力相応の評価を受けていない3人の友人に光を当てたい、など努力すれば叶わなくもない夢ばかりですが、どちらかと言うと「向こうから来た」という感じでした。“したい”ではなく“する”と決めることが肝心です。ふしぎな話ですが、それで夢が叶ってきました。

ちょっと話が脱線しましたが、とにかく僕は移住を決めて動きはじめました。情報を集めるなかで、久しぶりに田んぼでお世話になった髙坂さんのブログを覗いてみると、「古民家再生ワークショップ」の告知が。僕は古民家に住むのも夢だったので、必要なスキルを学ぶため、そして改めて髙坂さんに移住について相談してみようと思い参加を決めました。

ワークショップでは、古民家の素晴らしさと、自分たちで直して暮らす、という生きるたくましさを実感できました。帰り際に髙坂さんに「今、空き家ってあるんですか?」と聞くと、

「ちょうど1軒あるよ」

「え?!」ダメ元で聞いたので思わず驚いてしまいました。そのときはまだ居住者の方がいましたが、出ていくのでもうすぐ空くとのこと。せっかくなので、その日そのまま下見をさせてもらうことに。とても立派な家屋で、しかも修復いらず!そのまま住める上に、家賃が激安…。都心だったら、風呂トイレなし、しかも相当ないわく付き物件じゃないと、この安さになりません。鶴川団地に引越したのが2019年の1月で、このときはまだ1ヶ月後の2月です。

後日、妻にも下見に来てもらい、確か3月には引越しをほぼ決断していたと思います。子どものことで1つだけ懸念があり、それが解決しないと場合によっては移住を諦めなければいけなかったのですが、それも数か月後無事に解決し、決意を決めてから半年ほどで移住することになったのでした。

なぜ匝瑳だったのか

あれだけずっと悩んで移住地を決められなかったのに、なぜさらっと決められたのか。

ダンスしかやってこなかった僕には、DIYや壊れたものを修復したり、生きていくスキルがまったくと言っていいほどありませんでした。田舎への移住は夢でしたが、田舎での暮らしに不安もあったんです。ですが、古民家再生ワークショップに参加したことで、「ここには生きていくためのスキルを学ぶ場がたくさんあり、田んぼを経験した仲間がたくさんいる」

ここには安心がある

「収入に困ったらソーラーシェアリングでバイトすればいいよ」この髙坂さんの一声も大きかった。ソーラーシェアリングは匝瑳市の耕作放棄地だった土地を利用し、ソーラーパネルの下で大豆や麦などの農作物を育てる事業で、エネルギーの地産地消や雇用創出、地域保全に貢献するものです。

家族のためなら何でもするつもりでしたが、ただただ収入のための仕事は出来ればしたくなかったんです。そんな僕にとって、心の底から賛同できて学びにもなる仕事があるのは嬉しかった!実際、移住して間もない頃からバイトをさせてもらっています。

これまで漠然とした不安を抱えながら生きてきて、前年に精神的などん底を味わった僕にとって、「安心して暮らせる」というのは、こんなにも大事なことだったとは…。自分でも初めて気づかされました。

それに終の住処を探すのは凄くハードルが高くてなかなか行動できなくなりますが、もし違ったらまた自分に合う場所を探せばいいや、くらいの気持ちなら行動しやすくなります。もちろん、自分に合うと思えば一生暮らせばいいし。行動しないと見えてこないものだってありますからね。

髙坂さんが言っていたダウンシフトが、僕の場合、思わぬタイミングで“起こってしまった”。でもそれで結果、行動することができました。弾き出されるように東京を出た僕たち家族を受け入れてくれた地元の方々、先輩移住者のみんな、匝瑳やその近辺の風土にとても感謝しています。

すべて素人だけど、すべてこれからです。田舎暮らし始めましょうー!

uchinokurashi

今回も最後まで読んでいただきありがとうざいました。 心配させてしまう内容でしたが、今は健全な精神状態に戻って、家族みんな笑って過ごしています。

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